人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Make a Futile attempt-Theory

Make a Futile attempt-Theory_b0184437_0175724.jpg


駄犬の考えた、非常にくだらない考えである

以前に記載した平行世界の続きを書き足しておこうかと思います。



オンラインゲームにおいて、特徴的であるのは

以前にも述べた通り「対人的機能」が存在する事である。

擬似的な「平行世界」は、現実世界には存在しない

特別なゲーム上の表現により「変性意識状態」が引き起こされ

洗脳、感受されるのではないかという考えに則ります。



第二章

この平行世界での「人間」について、考えを記述します。

オンラインゲームは現実世界と対比させると

人口の割合が極端に少ない。

そして現実世界によって施された法律の観念や

一般常識等の「知識」を持ち合わせ、

この平行世界で生きる者達は

一定の条件下で仮想の暮らしを営むのを原則とします。

そして、この状態を現実世界から隔離した平行世界

「孤島」と表現します。

では、この「孤島」で生きる者達は

何を軸として生活を営んでいくのか。

そこで私は大凡に限り「蝿の王」の考えを用いました。

「蝿の王」とは、かの有名な「十五少年漂流記」

をパロディ化した書籍と言われています。



※「十五少年漂流記」

孤島に迷い込んだ少年達は、協力して

生存の道を見つけ出す。

※「蝿の王」

孤島に迷い込んだ少年達は、協力している内に

個々が持つ獣性によって対立が生じ、

狂気」によって殺戮していく有様を描いている。

結末は、是非書籍をお買い求め下さい



「変性意識状態」によって催眠状態にある場合

現実世界における、生物を殺生してはならない

という「知識」を一時的に解除し、

モンスターや、対人(PVP)によって殺戮する行為を

快楽と感じる、これを「狂気」という表現をすると

どのように変化するだろうか。


これらの書籍は共通して「規律制」が存在する。

「優位に立つ人間と、従う者」である。

よって、「孤島」に暮らす者達は、

優位に立つ人間と、従う者を選別する必要が生じる。

その選別方法が行われる可能性として

「蝿の王」方式で捉えるならば

暴力性の有無と、その強弱差である。


上記の方法を示すものは

ステータスの向上により基本的能力が

上昇するゲームの特性上

「キャラクターのレベル」だと考えた時

高いレベルの者が、低いレベルの者に

従わせる権利、もしくは「孤島」において

独裁的権利を有することが出来ることになる。


しかしながら、現「孤島」において

上記の方法は以後に記すが、

権利を一部しか有さない。

ここで、新たに「The Admirable Crrichton」

というオペレッタを参考にしたい。



※「The Admirable Crrichton」

孤島に迷いこんだ貴族と召使は、

協力して生存の道を探る。

しかしながら、貴族は本土での

優雅な暮らしによって一般的常識から逸脱し、

家事を「召使」に任せきりになった結果

孤島において活躍する機会を失い

権力は「召使」に完全に移行する。



単純な暴力性の強弱差だけでは

全ての権力を手に入れる事は出来ない。

結果的に権力を有するためには

「多数ある物のうち、何かに特化した能力」を有し、

尚且つ、それが

孤島において「万人に有効的かつ、良好な結果を示せるもの」

であることが、第2の権力に関する必定条件だ。


この上記に当て嵌まるのは

「経済効果を円滑かつ、向上させる者」

「対人関係を有効かつ、周囲に良い結果を齎す者」

他多数であるが、私は この2つを挙げたい。


そうしたものを実現させる為に、存在するのが「ギルド」である。

集団で辿り着いた「孤島」において、更に個別に集団を作る。

「精神面における第2の孤島」を作り出す。

ギルドマスターは統率を行い、ギルドメンバーはそれに従う。

しかしながら、それは精神面に限られた話であり

実力的、もしくは暴力性を兼ね備えた者が他に存在する場合

その者が肉体(暴力威圧)的権力を得る。

または、「財力における支配」。

資産を大量に有する者が結果的には「暴力性」を兼ね備える。


よって孤島における権力とは

「精神(信頼)的」・「肉体(威圧)的」の二面性に分離する。

これらは有する者を固定化しうる物ではなく、

様々な条件次第で、消滅、転化する可能性がある。



「蝿の王」:野心を持つ者が協調性を乱し頂点を求める

「十五少年漂流記」:協調性を求める者の集団

「The Admirable Crrichton」:権力は場所と能力により変化する


権力を欲する者が現れるが故に

必ずしも孤島は常に平和に存続できるとは限らない。

しかしながら、協調性を求める者も存在する故に微々たる均衡が保たれる。

そして、協調性を求める者は周囲の判断や状況によって

行為の善悪性さえも変換させる。

協調性を欲する者は周囲の判断によって変化する故に

現状が「正義」の行動であっても、変化次第では「悪」に成り得る。

その逆も然り。

この状態において、「孤島」という場所、状況を定め

権力者は常に移り変わりながら誕生と消滅を繰り返していく。

非常に繊細な、仮想的生物が孤島における「人間」であると私は考える。


とか、考えていたらオンラインゲームは楽しめないような気がする。

またこのオチ

長々と書きましたが、読んでくれた人は感謝御礼の意を申し上げます。

途中で何書いてるのか混乱し続けた駄犬



―今日のMU―

CC4-03

対人戦が撮りたい・・・。

動画はこちらへ


編集中

  by zinraisan | 2009-08-10 00:18 | 日常(MU) | Comments(2)

Commented by K_e_e_L at 2009-08-13 11:44
読んでて目が痛くなった@@;

あまり深く考えず、自分が楽しいと思うことをすればいいんじゃないかな。
Commented by zinraisan at 2009-08-13 12:00
コメント有難うございます。

実は「蝿の王」や「十五少年漂流記」は

社会学の思想において使われる事があります。

物事を違う方法から見るのも面白い発見があります。

これからも、迅☆おにいさんを 宜しくお願いします。

<< 「道」とは生きる術と見つけたり 諦められない武器 >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE